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カツラの葉っぱ 大好き!

カツラの葉っぱ 大好き!

方言あれこれR5

<方言あれこれR5>
『やっとかめ!大名古屋語辞典』という本がどえりゃあ面白かったので、この際、大使が気になる方言をあれこれ集めてみました。

・ぼっけえ きょうてえ:岡山弁
・ロンドンの方言
・幡多の方言
・『笑説 大名古屋辞典』:名古屋弁
・『やっとかめ!大名古屋語辞典』:名古屋弁
・『でーれーガールズ』:岡山弁
・『ラジ&ピース』:群馬弁
・『bestseller's interview 第77回 絲山 秋子さん』:群馬弁
・播磨気質:播州弁
・関西弁基礎講座:関西弁
・関西人の話法
ぼっけえ

R5:『bestseller's interview 第77回 絲山 秋子さん』を追記



ぼっけえ きょうてえ
美の巨人たち 甲斐庄楠音 「横櫛」:ぼっけえ きょうてえ
『ブロークン・ブリテンに聞け』4:英国英語はしちめんどうくさい
『笑説 大名古屋辞典』
『やっとかめ!大名古屋語辞典』2
『でーれーガールズ』
『ラジ&ピース』
『bestseller's interview 第77回 絲山 秋子さん』:群馬弁
播磨気質
関西弁基礎講座 INDEX
関西人の話法


<ぼっけえ きょうてえ >
東京のテレビでレギュラー出演もあるらしいけど(関西では見えないのだ)
その存在自体が、ぼっけえ きょうてえ岩井志麻子が気になるのです。
なんでや?

韓国の若い子との悲恋から覚めやらぬ(笑)大使としては・・・・
「ぼっけえ きょうてえ」をまだ読んでいないけど、韓国の若いツバメに入れあげているこの作家が気になるのです。

それと、岩井志麻子と西原理恵子がお友達らしく(実態は未確認ですが)、よくメディアの企画で取材旅行など行っているようです。

思うに・・・・
このふたりとの同行を命じられた若い男性スタッフの気持ちを察するに・・・
ぼっけえ きょうてえ・・・ですね。

このおふたり、別名「オバハン喜び組」には拉致されてみたいという気がしないでもないが(オイ オイ)・・・やっぱりチョット怖い。
ということで・・・
怖いものが見たいひとは岩井志麻子オフィシャルサイトに、どうぞ。

「ぼっけえ きょうてえ」という岡山弁は、学生時代に耳にしたが・・・
類推不能のあるいみ完璧な方言として印象に残っているが、強烈な名古屋弁に次ぐものではないだろうか?(やはり名古屋弁は無敵だ!)
とはいえ、岡山弁はおえりゃーせんの~。

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<ロンドンの方言>
『ブロークン・ブリテンに聞け』という本にロンドンの方言にふれている個所があるので、紹介します。


【ブロークン・ブリテンに聞け】


ブレイディみかこ著、講談社、2020年刊

<「BOOK」データベース>より
 EU離脱、広がる格差と分断、そしてコロナ禍ー。政治、経済、思想、テレビ、映画、英語、パブなど英国社会のさまざまな断片から、激動と混沌の現在を描く傑作時事エッセイ集。

<読む前の大使寸評>
2020年刊10月刊行の本なので、当然として新型コロナに対するイギリスの対応が載っているので興味深いのです。

<図書館予約:(12/9予約、1/30受取)>

rakutenブロークン・ブリテンに聞け


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連合王国イギリスの英語が興味深いので、見てみましょう。
p44~49
<英国英語はしちめんどうくさい>
 おもしろいことに、「Same Same But Different」のサイトを主宰するカップル自身が、海外で英語を教えるようにると、これまで喋っていた英語ではわかってもらえないのでスタンダードな英語を喋るようになったと書いている。つまり、外国人が周囲に増えると、言語は地域性や階級性を失い、単純化される宿命を負っているのだ。
 ならばこれから英国英語はどんどんシンプルになって、めんどくささを失うはずである。

 が、その結論に達するのはまだ早い。というか、事態は真逆な方向に進んでいる。
 外国人が増えているロンドン東部で、いわゆるコックニーと呼ばれる下町英語が消滅寸前の代わりに、ニューコックニーとも呼ばれる新たな言葉が誕生している。MLE(マルチカルチュラル・ロンドン・イングリッシュ)というこの英語は、ジャファイカン(ジャマイカ出身者を真似た若者たちの英語)を基盤とし、西インド諸島出身、アジア南部出身の移民の英語、コックニー、河口域英語の影響を混ぜたハイブリッドな方言だそうです。


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<幡多の方言>
大使の故郷・幡多には思いのほか、京都なまりが残っているので、それらを思い出してみます。
そんな言葉が残っている訳は・・・言ってみれば「遠流(おんる)の地」だったからでしょうね。

・おおきに(ありがとう)
・ほたえる(たわむれる)
・まろぶ(ころぶ)
・ざまに(すごい、すごく)
・~ちや(~だって)
・~けん(~だから)
・へんしも(すぐに、急いで)
・がいな(乱暴な)
・づつない(とても悲しい)
・えっころ(相当)

京都新聞に「遠流(おんる)の地」が報じられていたので、見てみましょう。

2020/5/15土佐への遠流、京とのゆかり 石畑匡基氏より
 新型コロナウイルス感染の流行はいつまで続くのだろうか。高知県立歴史民俗資料館(高知県南国市)の企画展「遠流(おんる)の地 土佐」では、3月10日までの会期を全うすることなく、3月5日で閉幕した。

 企画展の準備をしたものの、全く開館することなく閉幕を迎える博物館が増えている現状からすれば、会期のほとんどを終えることができ、幸いであったのかもしれない。

この企画展では、古代から日本で行われた刑罰である流罪をテーマに取り上げた。流罪には、罪の軽重によって「近流(こんる)」「中流(ちゅうる)」「遠流」があった。土佐(高知県)はその中でも最も重い「遠流」に規定されていたことに因んだものである。

 京都からも、多くの人々が土佐へ流されている。その一人が土御門上皇である。父の後鳥羽上皇と弟の順徳天皇が、1221(承久3)年に鎌倉幕府打倒を画策して「承久の乱」を起こしたことが影響し、土佐へ配流(はいる)となった。その後、土佐は遠すぎるという理由で阿波(徳島県)へ移され、同地で亡くなった。

 展示で特別協力をいただいた冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)は、土御門上皇が配流中に土佐で詠んだ和歌が載る「土御門院御集」と、上皇の女官が記した「土御門院女房(日記)」を所蔵している。それらを四国で初めて公開できた。

 作品返却に訪問した際には「このように取り上げられて土御門上皇も喜んでいらっしゃるだろう」と言われ、改めて開催の意義を実感した。

 ところで、土御門上皇のように、配流地で無念のまま亡くなった人がいた一方、罪を許され土佐での観光を楽しんで帰京した人もいる。その一人が江戸時代の公家である滋野井実光だ。


ディープな幡多弁が遅咲きのヒマワリより遅咲きで振り返る四万十「幡多弁」で見られます。

多和田葉子さんが『容疑者の夜行列車』という本で、スイス方言について語っています。

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名古屋弁を、見ていきましょう。
p65~68
<がや> 
 名古屋語としてあまりにも有名な「ぎゃあ」と同じ。「…だがや」等と断定するときに使われることが多い。三河地区では「がや」、名古屋地区では「ぎゃあ」が使われることが多いが、どちらも名古屋語として公認されており、意味は通じるのであまり神経質になる必要はない。

 それにしても、最近、名古屋のことを駄我屋などと言う東京人が増えた。はっきり言って、不愉快である。

<かん> 
 本来は「いかん」(いけない)「あかん」(だめだ)なのだが「い」や「あ」が省略されるか、ほとんど発音されないので他国人には「かん」と聞こえる。この種の省略は他の言葉にも見られるので注意が必要である。

→いかん
「今年のドラゴンズ、かんなあ」
(今年のドラゴンズ、だめだなあ)
「応援、かんとかんなあ」
(応援に、行かなければいけないなあ)

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『やっとかめ!大名古屋語辞典』で、名古屋弁の一例を見てみましょう。
p33
<えりゃあ>
 普通ではないことを表すきわめて使い道の広い言葉。「疲れる」「大変な」「ものすごい」そして「偉い」等、様々な意味をもち、発音もまったく同じなので理解するのがきわめてむずかしい。

 「えりゃ」と短縮形で使われることもある。「えりゃあを笑う者は、えりゃあに泣く」という格言があるほどで、名古屋語をマスターするためにはどうしても越えなければならない関門である。なお、英語と同様比較変化をし、比較級は「どえりゃあ」、最上級は「どえらけねゃあ」となる。これが名古屋独特の圧縮技術により「どえりゃあ」→「でりゃあ」→「でら」となると、もう名古屋人以外には理解不可能。東海地方限定ビールの「でらうま」が「どえりゃあうみゃあ」の圧縮形であることを理解できた東京人は皆無と言っていいだろう。

 なお、一部地域では、「ど」ではなく「も」がついて、「もえりゃあ」「もえらけねゃあ」となることがあるが、意味は同じである。

(例)
「今日、学校で先生に、えりゃあってほめられたがや」
「そりゃえらかった。何でほめられたん?」
「遊んでて窓ガラス割ってまったら、どえりゃあことしてくれたって」


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『ラジ&ピース』という小説から、群馬弁を見てみましょう。
p54~57
 毎週火曜日のこの時間は、「なっから群馬弁」。
 初心者の私、相馬野枝に、皆さんの群馬弁を伝授していただくコーナーです。FAXは027-3・・・メールアドレスはwww.joshn-fm・・・ケータイはスラッシュkをつけてください。

 先週いただいた「ガショーキ」つまり乱暴とか粗雑って意味なんですけれど、わかんねーよ、使わねーよ、という声多数いただきました。「ガショーキ」は東毛の方の言葉なんですね。高崎、前橋では使わないようです。

 さて、今週もたくさんいただいています。ラジオネーム恐妻センター前橋さんのなっから群馬弁。
 (嶋野がBGMを切ると同時にあらかじめ録音していた音源を流す。エコーをかけた間島の声が流れる)

 「チョットイッテミラァ」
 「ハアキャア?」
 (BGMをスタートさせる)

 これは、「帰るよ」「もう帰るのかい?」という意味だそうです。「もう」が「ハア」なんですね。なるほどー。帰るときでも、行ってみらぁなんですんね。「ハア、ケエラア」「ハア、ケエルンベ」になると、もっと帰る意思が強いっていう解説をいただいたんですが、これはすごい。恋人同士で使ったりもするんでしょうか?

 それからこちらは、えーと藤岡市のバイアス33さんからいただきました。
 (嶋野、BGMを切り、音源を流す)

 「ミンナンチのカタログ持ってきてクンナイ」
 (BGMスタート)
 この場合「ミンナンチ」っていうのは、「あなたの会社」だそうです。これもびっくりですね。私が藤岡へ行ったら、「ミンナンチの番組いつも聞いてるよ」って言われるのかな、なんだかかわいい言葉ですね。

 えーっと、もう1枚行けますね。こちらは高崎市の不眠鳥さん。
 (BGMを切る。ここは野枝がメッセージを読む)

 「野枝さん、ナカラとオーカとマッサカの使い分けってわかりますか?全部すごくという意味なんですが、ニュアンスが違います。オーカはどっちかというと否定的なニュアンス、マッサカは予想と違う驚きのニュアンスです。これをマスターしたら野枝さんも群馬人ですよ」
 (BGMスタート)

 はい、英語で言うとveryということですよね。ナカラはわかりますが、あとの二つは全然わからないです。そっかー、副詞を聞いただけで意味合いがわかるんですね。奥が深いなあ。
 今日採用された方にはステッカーお送りします。「なっから群馬弁」のコーナーでした。
 (嶋野、CDを流す。野枝、天気予報が原稿と変わっていないかどうか確認のため、ブースを出て行く)
 (野枝、ミネラルウォーターを持ってブースに戻ってくる)

 「あと十秒です」
 (CDが終わり、サイレントとなる)


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群馬弁をもう一例見てみましょう。

『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』より

■「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない   
― 絲山さんの新刊『薄情』は、群馬県の高崎市を舞台にした、いわば「土地」に根を張った作品です。まずは、この小説がどのように着想されたのかというところからお聞きしたいのですが、やはりご自身がこの地で暮らしているということが大きいのでしょうか。
著者近影

絲山: もちろん、自分が住んでいるからというのはあります。これまで、小説の中であちこちの地方都市を書いてきたのですが、多くは「余所からその土地に来た人」の話でした。
ただ、群馬に関しては実際に家を建てて暮らしていて、町内会の活動にも参加しています。方言で話しますし、知人も増えましたしね。それもあって、私自身は東京出身なのですが、群馬を舞台にするのであれば「その土地で生まれ育ってずっと暮らしている人」のことも書けるのではないかというのがありました。前に書いた『ばかもの』も高崎が舞台でしたが、『薄情』はそれをもう一歩進めた形で書きたいという気持ちでしたね。

― 「土地」ということでいうと、「生まれてからずっとその土地の中にいた人」と、主人公の宇田川や蜂須賀のように「一度出てから戻ってきた人」、鹿谷さんのように「外からきた人」が作中に登場しますが、それぞれ土地との距離感が違っていて面白かったです。

絲山: 自分自身、高崎には会社員時代に2年いて、その後で住みついたのですが、アパート暮らしの時と、家を建ててからでは周りの人との親密度が変わったように感じます。余所者かどうかということでいえば、この先もずっと余所者なのでしょうが、それでも少しずつその土地だとか土地の人との距離感は変わってくるものだと思います。同じように、生まれた時からその土地にいる人でも、家族が代々そこに住んでいるという人と、親の代で移り住んできた人とでは、ものの見方にしても故郷の捉え方にしても少しずつ違ってくるはずです。

― 群馬といえば、その「田舎」ぶりがインターネット上でネタにされていたり……

絲山: 群馬の人ってそれを知っていて笑いのネタとして、自虐的に話すんですよね。本当は群馬が好きなのにわざわざ自虐に走ってしまう。「未開の地 群馬」と言われたりしますけど、そういうことでも、話題として楽しんだりします。この小説では、そういう群馬の人の気質も含めて、他の人が書いていない群馬の話を書きたいと思っていました。

― 東京との距離が絶妙ですよね。遠いは遠いですが、地方とまではいきませんし。

絲山: 方言にしても、イントネーションは東京と同じで、昔の「江戸っ子」の言葉に近いんです。「おまえ」が「おめえ」だったり、「はいった」が「へえった」だったり、落語みたいに聞こえるかもしれません。

― ただ、宇田川は登場人物の中でもはっきりと東京との距離を感じていますね。

絲山: 宇田川もそうですが、群馬は「地元意識」が強い人が多いと思います。そこは埼玉の人との違いかもしれません。埼玉の場合、東京に通勤していたりするので、独自の地元意識はあまりないという人が多いのですが、群馬は地域によって特色が違いつつも全体で「俺たちは群馬」という意識があります。

おもしろいのは、群馬の人は東京のことを「都内」って言うんですよ。おそらく無意識に使っているのだと思いますが、群馬は東京の外側なんだから「今日は東京で仕事」でいいはずなのに「今日は都内で仕事」と言う。でも埼玉や長野のことは「他県」と言うんです(笑)。だから埼玉を飛び越えて東京に親近感を持っているんだと思います。


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